デキル営業ほど、売りを中心に活動する

デキル営業は、個人の属性により売上を上げることを得意としている。また、どんな商品でも売れるデキル営業になるために、いくらデキル営業がたくさんいても、それは個人の属性であり、会社としては強くならない。

その証拠に、その営業がやめてしまえば、その分の売上がそのまま無くなる。なにより、企業がダメだと感じたら、デキル営業から辞めていくという事実もある。

デキル営業ほど、見切り営業がうまい

デキル営業は、新規顧客を望む傾向が強い。

新規を落とす快感と、潜在性というか未知数の可能性を求めていく。しかし、一度手を付けて、ダメだと感じたらすぐに見切ってしまう。時間の無駄だと感じる傾向が強い。

つまり、理解してくれやすい人しか相手にしたがらない。同じ100万円の売上をあげるなら、効率よく売上をあげられる道を選択しつづける。自分を受け入れてくれる人だけで商売していては、強くなれない。

デキル営業ほど、ムダな活動をしない

営業は、一般に無駄という判断が難しい。今は無駄に見えても将来的に実を結ぶことなどいくらでもある。

ダメだと思っていたものが意外に大きな成約することも多々ある。しかし、デキル営業は、そこに強い判断基準を持っており、自らの判断で、無駄な営業はしない。効率だけを考えているだけでは、強くなれない。

デキル営業ほど、定量的なゴールを設定する

デキル営業は、結果がすべてだと思っている。そのため、目標を常に数字に換算して、進捗管理している。すべてを数字で捉えているだけでは、強い企業にはなれない。

デキル営業ほど、すべての情報を握っていたい

デキル営業は、すべての情報を握っていたい。ある意味、それらの情報は営業にとっては、生命線とも言える。

それをすべて会社に吐き出せと言っても、吐き出さない。見せたくないから見せない。しかも、見せないことによるペナルティーもなく、逆に、情報を見せることに対する見返りもない。一方、企業は、デキル営業に対しては、それを強制することもしない。

それが、たとえ管理志向が強い会社であっても、デキル営業だけは例外的な扱いをすることが多い。

売上さえ上げていれば、文句を言わない。個人が情報を握っている企業は、強くなれない。

デキル営業ほど、癖が強い

営業には、それぞ癖がある。デキル営業ほど、その癖が顕著である。その癖が営業の源泉であり、売上を支えるものであるため、この癖を直すようなことはしない。個人の癖が利益の源泉になっている企業は、強い会社になれない。

デキル営業ほど、器にはめ込まれることに嫌悪感がある

デキル営業は自主性が強い。やらされているということをすごく嫌う。協調性が重要だからと説得しても、売上が一番大切ではないのかと反論されてしまい、その後の言葉が続かない。協調性のない企業は、強い会社になれない。

デキル営業ほど、悪い情報や失敗を隠しても影響がない

商談が上手くいったときは、聞いてもいないのに、自慢話をするが、失敗したときやミスをしたときは、何事もなかったかのようにしておきたい。それは人の心理として当たり前のことです。デキル営業であれば、なおさらこの傾向が強く、また、その場はなんとかしてしまうスキルも持ちあわせいる。デキル営業と言えども失敗はあるものです。

自分なりに次に活かすための活力にしています。しかし、それが表に出てきません。失敗を共有できない企業は、強くなれない。

デキル営業に頼っていては、その会社に未来はない

デキル営業は、自分の売上につながらないことはやりたがらない。そこに費やす時間はすべて無駄であり、無駄を少しでも無くすために日々努力しているのがデキル営業になる。つまり、「自分の首を締めるようなことはやらない」。

自分が不利になるようなことはけしてやらない。つまり、たんだん硬直化、自己目的化していく運命にある。

硬直化、自己目的化は、既得権益を作り、環境の変化に対して抵抗するようになってしまう。

つまり、変わっていくことに対して当事者であるデキル営業が、本人自ら実行することはできない。

デキル営業なのだから、新たな仕組みは要らないだろうし、今のやり方がベストだから、何も考えずにどんどん邁進すればいい。

という考え方を崩さない。つまり、デキル営業は売上という数字をあげるためには役立つが、会社を強くするために必ずしも役立たない。そこに、デキル営業の構造的な問題が存在する。

構造的というのは本人の問題ではないことである。では、担い手になるのだろうか?会社を強くするための源泉を担うのは誰になるのだろうか?


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